セイコーのロードマーベルとローレル。
どちらも1950年代製。
この時計は、当時のセイコーグループの時計製造会社「諏訪精工舎」で作られました。その名のとおり、長野県諏訪産。
それから約20数年、戦局が著しく悪化していた時代に話は遡ります。
当時の諏訪の産業であった製糸業は、化学繊維の登場と戦争により衰退していました。
基幹産業を失った町も同じように寂しくなる中、町の商店主達は、新しい産業の必要性を考え始めました。
ある時計店の店主が「腕時計を製造しよう!」と言い動き出し、服部時計店(現セイコー)に掛け合い、製造の仕事を請けてきます。
味噌蔵を改造した小さな工場で失業した生糸女工を集めて操業が始まりましたが、
「信州の山猿の時計なんて・・・」東京本家では、そんな目で見られていました。
しかし、戦後、諏訪から産まれる時計たちは、著しく精度のいいものになっていました。
そのころ、セイコーの高級時計として初めて発売され、「世界のセイコー」の礎を築いたのが、写真の時計なのです。
その後、名品・グランドセイコー、東京オリンピックの担当計器や初のクォーツ腕時計もこの諏訪で産まれました。
さて、その後、この会社はどうなったか・・・
今や本家セイコーの数倍の事業売上を上げる企業へと発展しました。
その会社の名は、
「EPSON」